Seize The Dayz
Finding the epicenter of influence. By Rian Pozzebon
アメリカ在住のライアン・ポズボンが、主にスケートボードに関連したフィルムを手掛けてきたディレクター、ドン・ルオンさんをインタビュー。

Rian
Year: 1987
Spot: Santa Barbara, Calif.
Trick: Fakie Disaster
Photographer: Nicholas Pozzebon

皆さんにとっての「始まり」はどこですか?
影響をたくさんうけて成長するチャンスが生まれて広がった場所?あるいは友情が絡まり合って根を張っていろんな方向に広がっていく、そんな共通のスタート地点かもしれませんね。
僕の場合、幸運なことにその中心の一つがスケートボードショップでした。それぞれのショップは独自の雰囲気があって、規模の大きさや品揃え、スタイルもバラバラです。その場所にいると、イライラしたり、戸惑ったり、時にはグッとくるような出会いがあったり。スケートボードの話をする人たちって、どこに行っても同じように感じる部分があって、それがまた面白いところです。
だから、僕はそういうスケートボードショップが大好きで、どこに行っても必ず探しちゃうんです。単なるショッピングの場じゃなくて、自己表現や友情を育てる大事な空間だと思っています。皆さんにとっての「始まり」も、そんな特別な場所であってほしいなと思っています。

Year: 1993
Spot: Pasadena City College, Calif.
Trick: Nose Slide
Photographer: John Wilber
Year: 1994
Spot: Dory’s Ramp, SGV, Calif.
Trick: Switch Blunt
Photographer: John Wilber
Year: 1993
Spot: TG Max curb- Rosemead, Calif.
Trick: Nollie 5-0 Grind
Photographer: John Wilber

Year: 1998
Video: 411VM Issue #29
Secton: Furnace Shop Team
Editor: Mark Nisbet

僕の「始まり」は1996年、カリフォルニア州ロングビーチ郊外にあるスケートボードショップ、Furnaceスケートチームの一員だったこと。そこで築かれた友情や繋がりはスタジアムを埋め尽くすほどです。今回の原稿を依頼されたとき、僕はすぐにFurnaceの灯火を今もなお受け継いでる若者たちに目を向けました。彼らは僕らの明るい未来がこの後継者たちの手に委ねられていることを思い出させてくれます。私の友人、ドン・ルオンを紹介します。

Don Luong Interview with Rian Pozzebon
Date: April 9, 2025
Hour: 0830
Location: Good Time Coffee, Long Beach, CA

じゃあ自己紹介から始めよう。

Don : ドン・ルオンです。

Don
Year: 2003
Spot: Cypress Calif.
Photographer:Chad Drummond

あなたの苗字の由来と、あとドンという名前は何かの略なの?

Don : いや、笑。僕はベトナム系なんだ。伝統的にはみんなドナルドって名付けるんだけど、僕の場合は文化的なギャップがあってね。でも何の略でもなく、ただDonだけ。出生証明書にもそう書いてあるよ。

コーヒーショップまでスケートで来てくれたんだけど、今日のボードについて教えてくれる?

Rian & Don
Year: 2025
Spot: Long Beach, Calif.
Photographer: Rian’s timer

Don : エド・テンプルトンのこれは“The Cat”というグラフィック。確か昔のニューディールのグラフィックだったよね?

そうそう、彼の昔のニューディールのグラフィックが新しいシェイプになって使われてる。

Don : スクエアテール、尖ったノーズ、8.75インチでそんなクレイジーな感じではなく。でもクルージング用のトラックにはインディとスライムボールウィール。

君の職業をあえて言うと何かな?

Andrew Reynolds & Don
Year: 2021
Spot: San Bernardino, Calif.
Project: BAKER x RVCA Collab
Photographer: Ben Carpinski

Don : 今でもすごく楽しいから職業って感じじゃないけど、僕はフィルムメイカーでディレクター、主にスケートボードに関連した仕事をしてきたよ。

どれくらいこの仕事やっているの?

Don : 2006年に高校を卒業して、その時にはすでに撮影をしていたから、たしか2002年とかそれくらいからで、多分友達がVHSカメラを僕に渡して“これ撮って”と言ってきたのがきっかけだったかな。とにかくカメラを持って何かを作り出すことに夢中だったんだ。

誰かが親のVHSカメラを渡してきて、その次のレベルに行ったのはいつ?そしてそのカメラは何だったの?

Don
Year: 2001
Spot: Cypress, Calif.
Photographer: Chad Drummond

Don : ミニDVDカメラが登場して、カメラの知識を持っていた友達のライアンってヤツに出会ったのがきっかけだと思う。その時に撮ったビデオをパソコンに取り込み、曲を追加できること知ってね。ライアンはこれに夢中で、エフェクトなどを使用してミュージックビデオのエフェクトを作ったり、映像を撮って別次元の感情を生み出すものをいかに速く作れるかということに夢中になっていたのを憶えてる。僕はカメラを所有したことがなかったけど、その次のレベルに到達したのはその当時、ちょうど出回っていた小さなパナソニックのミニDVカメラで、僕の最初のツールだったと言える。これについて僕がよく覚えているのは、アダプターなしの魚眼レンズだったので、文字通りカメラのレンズにかざして周辺光量を調整しなきゃいけなかった。そのセットアップをしている僕の写真がどこかにあるはずだよ。

魚眼レンズなしで撮影するのと比べて、魚眼レンズを使用して撮影することの魅力はどんなところ?

Don : スケートビデオは全てデスレンズ(魚眼レンズの一種)を取り付けたVX 1000を使っていたから、そういう風に見せたかった。実際はそんな風には見えなかったけど。でもこれはかなり近いと思ったんだ。足を切り落としたり、頭や腕を切り落としてワイルドな撮影をしていてね。ボードや体が宙に浮いているだけで、自分たちが何を滑っているのかさえわからない映像もあるよ。僕たちは当時影響を受けたトランスワールドや他のビデオを再現しようとしていたただの子どもたちの集まりだね。スケートボードに夢中になり、これこそ自分がずっとやりたかったことだと確信したし。スケートボードが今のような人生に繋がるなんて夢にも思っていなかった。

初期の頃に影響を受けたビデオはある?

Don : The Reason [Transworld Magazine video]とFulfill The Dream [Shorty’s Skateboards video]はメチャクチャ観たよ。

影響を受けた撮影スタイルとかセリフはある?

Furnace Staff
Year: 2006
Spot: Long Beach, Calif.
Photographer: Unknown

Don : 僕がこれらのビデオで興奮したのは出演してた子たち、Sammy Baptista、Jesse Silvey, Brandon TurnerとToan Nguyen。彼らの年齢はわからないけど、多分と自分と同じか1、2歳年上だったと思う。でも子どもたちがビデオに出てるのを見て本当に火が付いた。僕も友だちも彼らほどうまくはなかったけど、彼らになりきって滑ることはできた。
あとFulfill The Dreamはデカかったなあ。Toanがベトナム人だったっていうのも大きくて“マジかよ?!”って感じで、ベトナム人のプロスケーターがいて、しかも僕のローカルのスケートショップFurnaceにいつもいるなんて。学校の近くで隔週末でボードを売ろうとしてる人たちがいて、しかもめっちゃボロいボードを20ドルで売ってくるんだよね。そんな感じで昼飯代を巻き上げられたけど、でも今思うとすごくいい経験で、スケートに出会えた環境としてはすごく恵まれていたと思う。それは全部Furnaceのおかげだよ。

Shortyのデッキに金使っちゃって、どうやって次のレベルのカメラを手に入れたの?

Don
Year: 2006
Spot: Anaheim Calif.
Photographer: Chad Drummond

Don : 友人のChadがVX 1000をプレゼントしてくれたんだ、彼のお兄さんのYoung Bloodを知っているでしょ、彼がそれをChadにあげて、その時ちょうど僕もその周りでスケートを熱心にやっていて、まだフィルマーじゃなかったけど誰かがトリックを撮って欲しいって言えば“僕がやるよ、僕にやらせて。”と一番に答えていた。Steveが撮影に飽きてChadにカメラを譲って、それからChadが飽きて最終的に僕にくれたんだ、レンズ付きでしかもタダで!Chadには感謝してる。彼が撮影や編集についてたくさん教えてくれたんだ。

それはすごく運のいい話だね。

Don : このカメラの面白い話が、実はRonnie Creagerが使ってたカメラだったんだよ。これがRonnieのSony VX 1000だったなんて、彼がこのカメラで何を撮ったかなんて想像もつかないよね!?このカメラはMenikmatiのビデオ撮影していたときに使ってたカメラだと思うんだけど、それってめちゃくちゃクールじゃん。今考えると夢みたいな話だよ。とにかく、もらったカメラが僕の人生を変えたんだ。

Barbarians at the Gate
Year: 1994
Company: Foundation & World

Ronnie は90年代初期に僕が一番好きだったスケーターの一人なんだ。みんなにBarbarians at the Gate [World and Foundation skateboards]の悪ふざけを見て欲しい。それって君が滑り始めた頃かな、最初のスケートボードは何だったの?

Nash Edecutioner
Year: 1989

Don : 初めてスケートボードに乗った記憶はめっちゃかっこよくて、それが父親なんだ。プッシュできて、昔ながらのold schoolの形で、めっちゃでかいウィール、ボードには龍が描いてあって、エクセキューショナーの板だったと思う。まだ持ってたら良かったんだけど。多分もう捨てられちゃったと思う。それで少し大きくなった時、スワップミートで黒いウィールを$10くらいで買って、赤いヴェンチャーとFlameboyのグラフィックが入ったWorld Industriesのスリックボトムを買ったよ。それが僕の最初のボードだった。

スケートカルチャーの中心で育ちながら、両親以外で影響を受けたりメンターみたいな人はいた?

Don : 僕にはすごくカッコいい伯父さんがいて、母親の弟なんだけど。彼はスケボーはしなかったけど、ビデオゲームをたくさんやってたんだ。ギャングにも関わってたんだけど、行く先々に僕を連れて行ってくれた。今思えば子供が行くべき場所じゃなかったと思うけど、知らないうちに色々見せられてたんだと思う。

彼からもらった言葉で大切にしているアドバイスってある?

Don : 特にないかな。彼自身も子供だったからね。あの時はすごく大人に見えたけど、実際は僕の6歳上なだけ。でも彼は本当に僕を大切にしてくれて、公園の向こう側から喧嘩を見ていることもあったよ。彼が、“このブランコに座って待ってろ”って私に言ってから、彼は向こうで誰かと喧嘩して、縄張り争いみたいな感じ。あの頃はまだ銃やナイフではなくて素手で喧嘩していた。高校生たちが“自分が一番強い”って見せたがってて、僕は“ヤバイ”と思ってたよ。

Don
Year: 2003
Spot: Cypress Calif.
Trick: Crooked Grind
Photographer: Chad Drummond

Don : でもスケートの中で影響を受けたのはWilliamってやつ。僕たちは“Bubba”って呼んでて3、4歳年上だった。彼はVHSカメラも持っていて、家にはファンボックスとフラットバーがあったんだ。彼のお母さんが車でスケートパークまで送ってくれることもあった。彼は礼儀正しい良い子で、学校では成績が良く、お酒も飲まずタバコも吸わなかった。彼がスケーターでもちゃんとしているっていうことを僕に見せて教えてくれた。チンピラにならなくても良いってね。僕の従兄弟たちは当時グラフィティに夢中で、小学校が同じ地域にあったから一緒に壁に落書きしたりしてたんだけど、それを彼が知ってすごく落胆していて僕はお兄ちゃんをがっかりさせちゃったと感じてね。だから二週間くらい経ったくらいでやめたんだ。彼のことを尊敬していたし憧れていたから彼の言葉にちゃんと耳を傾けた。

若い頃を経て、幾つもの大きなスケートプロジェクトを撮影、監督してきたよね。即興的に僕がプロジェクトの名前を言うから、その名前を聞いて最初に思い浮かぶ感情やエピソードを教えてくれる?まずは、Splendor [Foundation Skateboards]のビデオは?

Don : Splendor、うわぁ、これ面白いかも、こういうのやったことないよ。Ok、最初に思い浮かぶこと。僕の友人のJake FrankがBolexを持っていて、いろんな撮影に付き合ってもらったんだ。彼が撮ってくれたBロールがすごく美しかった。このビデオで初めて“他の人と協力することで作品がもっとよくなる”って実感したんだ。クリエイティブな過程って全てを共有する必要はないけれど、でも時にはそうすることが有益で、最終的な作品が10倍良くなることもあるんだよ。君に聞かれるまでそんなこと考えたことも口にしたこともなかったよ、最高にクレイジーだね、心の仕組みって。

Programming Injection [Toy Machine Skateboards] ビデオは?

Julian Lewis, Don, Georgia Martin& Susie Heath
Year: 2023
Spot: Long Beach, Calif.
Video: TM Real Life Sucks
Photographer: Ben Karpinski

Don : 実はGeorgia Martinとスポットに行く途中でこの話をしたんだ。二人で僕が作ったビデオの話をしていたんだけど、彼女は今ではチームのプロになっているよね。これについて正直に言うと、失望かな。これは僕にとって初めてのToy Machineのビデオで、この時はToy Machineのビデオにはほとんど参加していなくて少しだけウェブの編集に参加するくらいだった。でもこれは僕の頭では3、4年かけて撮影する普通の長編映画みたいになる予定だったけど、Kevin Barnettが会社を離れた後で、僕は彼が創り上げた美学を引き継いで真似しようとしていた。あのビデオは僕のベスト作品じゃなかった、なぜなら自分らしさを出せなかったし、今観るとスケートの素晴らしさはさておき、もっと上手にできたはずと思っちゃう。ビデオの中のスケートはほんと素晴らしいし、多分自分が過剰に批判的になっているだけだと思うけど、今見直してもあれがベストだったとは思わないんだ。急いで作った感じがするし、自分に忠実ではなかった。だからあのビデオには少しがっかりするんだ。

みんなそうやって失敗することもあるよ。次、Whippersnappers [Foundation Skateboards]ビデオは?

Don : 全部観てくれてるの?

もちろん。

Don : ありがとう! Whippersnapperは撮ってて楽しかった。個人的には一番完成度の高いスケートフィルムの一つだと思ってる。周りの反響やみんなの努力、音楽、当時のチームに本当に満足していた。Corey Glickが去る前の作品だったから、彼がFoundationに在籍していた最後の作品。本当に誇りに思っている作品だよ。

Souvenir [Foundation Skateboards]ビデオについてはどう?

Don : SouvenirといえばCoreyのパートしか思い浮かばない。彼の当時のスケートは紛れもなく素晴らしかったし、あの曲と最後のトリックが魔法のように完璧に融合したと思う。SouvenirのCoreyのパートは僕がこれまでに作った作品の中の個人的なお気に入りの一つだね。

うん、あの曲本当に良かったよね。あれは僕のお気に入りの編集だよ。あの曲の美しいスローな部分がスケートボードの音を際立たせてた。

Don : 最後のパートのところ、裏話があって、曲のちょっとした終りの部分が溶け込んでいるんだ。元々はなかったんだよ。ディーラーのMikeyと友人で、電話でビデオの前の最後のツアー前に彼に最後のトリックの為にこの曲を録音して欲しいって頼んだんだ。それで僕は文字通りメロディーをハミングして最後のコースを電話で歌ってこう言う感じで入れて欲しいと伝えたら、一週間もしないうちに彼が送ってくれたのを僕らが使ったんだよ。彼がとても才能のあるミュージシャンで僕たちのくだらないハミングをこんなに素晴らしい音楽にしてくれるなんて、本当にラッキーだった。

Tee-Hee [Furnace Skateboard Shop] ビデオは?

Don & JuJu
Year: 2007
Spot: Cypress Calif.
Video: ta-ha
Photographer: Chad Drummond

Don : うわ、まさかそれがリストに入ってるとは思わなかったよ。あれは僕にとって特別な作品なんだ、なぜならあの時はみんながVXからHDカメラに移行していった時だったからね。僕の最後のVXカメラ作品だよ。誰も自分にあのビデオを作ってと頼んでいなかったし、スポンサーもいなかった。出演してくれたスケーターたちもみんな時間を割いて、ただこの活動に賛同してくれたんだ。あのビデオは自然発生的に生まれたんだ。あれは間違いなく最後。その時すでにFoundationやToy Machineで働いていたから、責任のある仕事の合間のサイドビデオだったから今思えば正気じゃないよね。でも20代でただスケートがしたくて、友だちとの時間を大切にしていた。あのビデオをは純粋さを象徴しているよ。

Scorched Earth [Toy Machine Skateboards]は?

Don : あれは完全にMyles Willardの為のビデオだったね。Willard、彼のビデオって感じ。Toy Machineで自分のクリエイティビティを確立し始めた頃だったと思うんだけど、Edが“好きにやってみて、君を信じてるから”って言ってくれたんだ。“Ed Templetonが僕にこう言ってるの?”あれですごく自信がついたよ。

The Balance of Opposites [RVCA Clothing] ビデオは?

Spanky, Sean Pablo & Don
Year: 2021
Spot: New York, NY
Video: RVCA Balance of Opposites
Photographer: Ben Karpinski

Don : このプロジェクトは関わってくれた人たちと体験できたことに感謝してる。チームのみんなは他のプロジェクトでも忙しかったから、アパレルブランドの為に撮影をまとめるのは大変だった。でもそのおかげで、自分がどれだけ恵まれていて、2ヶ月ごとに新しい国で目覚めてみんなが“今日のディナー何にする?”って話すのと同じくらいスケートボードのことを考えているんだから。Andrew (Reynolds)やSpanky (Kevin Long)、Mark Suciuに出会えたこと、そして普段なら一緒にスケートをすることのないような世界のクレイジーな場所や人々と触れ合えたことが本当に貴重な経験だったよ。

Oddity [Foundation Skateboards]はどう?

Don : Riley、僕の妻。彼女とはそのプレミアで出会ったんだ。彼女の親友も彼女自身もスケートには興味はなかったんだけど、友人がスケーターと付き合っていて、彼らをプレミアに招待したのにドタキャンされたんだ。それでも2人は来てくれた。僕は彼女をバーで見かけたんだ。すごい綺麗だったから。それで彼女にアプローチして、そう、結婚したんだ。

最高のストーリーだね。Real Life Sucks [Toy Machine Skateboard]ビデオはどう?

Austin Stephens, Curren Caples, Julian Davidson, Don & Donta Hill
Year: 2022
Spot: Kingston, Jamaica
Video: RVCA Jammin in Jamaica Photographer: Ben Karpinski

Don : あれは簡単に作れたよ。Georgia、Jeremy、Bradenみんなが全力で取り組んでくれた。良いスケート映像があると編集もしやすいんだよね。個人的にすごく見やすいビデオだと思う。自分が作ったToy Machineの中で一番好きな作品だな。

Vaccine [Toy Machine Skateboards]ビデオは?

Don : ヤバい、あれはパンデミックの真っ最中だった。ビデオのタイトルを聞くだけであの時の状況が文字通り正確に思い出せるなんて最高だよ。パンデミックのピーク時、水曜日のラッシュアワーに405線を運転していたんだけど、誰もいなくて自分だけしか走ってない。どこもかしこもガラガラで裁判所は閉まってる、学校も休校。でもスケーターたちは滑るのを止めないから、この時期のスポットをフル活用したんだ。パンデミックがなかったらきっとそこでトリックを練習する時間なんてとれなかっただろうって自信を持って言えるスポットが2、3箇所ある。本当にクレイジーな時だったね。

リストの最後はAnd the last on my list, Ta-HA [Furnace Skateboard Shop]のビデオ。

Don : Ta-HA… あれは初めてのビデオだったからすごく真剣に取り組んだんだ。5年かけて制作したよ。出演者全員が本気だった。Furnaceからインスピレーションを得て、Long Beachのあらゆる世代のスケーターが、これが僕たちの作品で今最高のクルーがいるって誇りに思ってもらえるように作った作品だった。今まで作った有名ブランドのビデオと同じくらい、このビデオの話題はよく聞かれるんだ、何もないアメリカのど真ん中でこんな風にビデオを褒めてもらえるのは最高だよ。

Don & JuJu
Year: 2007
Spot: Cypress Calif.
Video: ta-ha
Trick: Backside Tailslide
Photographer: Chad Drummond

あなたのビデオから曲を選んでプレイリストを作って読者の皆さんと共有しようと思うんだけど。さっき話してくれたDrugdealerのエピソードの他に、何かストーリーがある曲はある?

Don : Cole WilsonがThe Animalsの“It’s All Over Now, Baby Blue”に合わせて滑ってくれたんだよ。

それ憶えてる、僕のリストにもあるよ。

Don : 僕たちはウォルナット クリークのトリプル キンクで最後から2番目のトリック、ノーズ グラインドを成功させた。夜、北カリフォルニアからLAの帰り道で、全員けっこうウィードを吸ってたよ。最悪な長距離ドライブなのに彼のプレイリストを流してビデオパートの曲を探してたんだ。それでみんなが眠っている時にドカーンとあの曲が流れてビビっと来たんだよね。カッチリと感覚が一致してピンと来た!そんなの滅多にないからね。Coleのエピソードもあるし、彼の“上昇と転落”みたいな背景もあって、泣けるね。

君のプロジェクトに込められた想いがすごく伝わったよ。このあとはどこへ行く予定?

Don
Year: 2025
Spot: Long Beach, Calif.
Trick: Push
Photographer: Rian

Don : フィジカル的に?それとも精神的に?家に帰って卵焼いて、犬と遊んでジムに行くかな。将来的にはずっとスケート馬鹿であることに変わりはないけど、もっとプロフェッショナルとしても成長したい。人生のほとんどをスケートボードに費やしてきたけど、これからは他のクリエイティブな分野にも挑戦したい。そしてもっと監督業をしたい。仕事でもプライベートでも居心地の悪い場所に身を置くのも良いかもしれない。スケートボードはもうすっかり天性のものなので、もっと学んで脳をさまざまな方法で活用できる場所にいたいね。プロダクションやコマーシャル、他のクリエイターとコラボレーションとか。

じゃあ最後に、僕に聞きたいことってある?

Don : 質問っていうより、君と一緒にこの仕事をすること、そして君の人生の今という章について少し言わせて。僕は君のライフステージがすごく楽しみだよ。君自身が新しいことに挑戦しようとしていて、それってすごく刺激的だし、僕らには誰しも“クリエイティブな部分”があると思う。今は仕事のための仕事ではないからこそ、君が手がける作品にとても期待してる。

ありがとう。ありがとね、Don。

Rian & Don
Year: 2025
Spot: Long Beach, Calif.
Photographer: Rian’s timer


Don Luong
映像監督、撮影監督、クリエイティブアーティスト

カリフォルニア州サイプレス出身のスケートボード映像作家。スケートボード文化の中心地でストリートが彼の視点と情熱を形作った。偶然、映像作成の世界に入った彼は、それが彼の将来を決定づけるとは夢にも思っていなかった。最初は気軽な撮影から始まったものが、すぐに誠実で感情的なストーリーテリングを特徴とするキャリアへと発展した。Donの作品はスケートボードの真髄を捉え、情熱と深いつながりを呼び起こす。
現在、彼はToy MachineとFoundation Skateboardsの映像監督兼編集者を務める。この二つの役割に彼は深い感謝の気持ちを抱いている。彼の歩みは、たとえそれが思いがけず訪れたものであっても情熱に従うことの大切さを示す証となっている。


Rian Eugene Pozzebon
グローブローラー、クリエイティブ探検家、プロダクトデザイナー

ロサンゼルス東部のパサディナ出身。11歳の時初めてスケートボードに出会った。スケートボードという行為そのものだけでなく、それを取り巻くクリエイティブカルチャーにも魅了された。ボードのグラフィック、広告、ビデオ、音楽そしてそのスタイルは五感を刺激し、様々なクリエイティブな分野への扉を開く鍵となった。それらを全て試しながらRianは大学へ進学し、映画と監督を専攻した。サンタバーバラの大学でスケートボード仲間と出会い、彼らのバンに乗り込みスケートボードでアメリカ中を旅した。ニューヨーク旅行中にバックパック会社を立ち上げるというアイディアと可能性が現実性を帯始め、1996年、スケートボード界初のバックパック会社Pipsqueeks Bakpaksを設立しデザインを手掛けた。 これがきっかけとなり、Axion Footwear、World Industries、Elwood Clothing、Alphanumeric、Stussyといった企業で営業職に就く機会を得た。しかし、クリエイティブへの欲求は消えず、その思いを満たしてくれたのが生涯の友人であるJon Warrenで、彼はRianを再びデザイン世界へ導き、Vans Shoe Companyでの新たな道を切り拓いた。 RianのVansでの22年間のキャリアはVans Skateプログラムを再構築するシューズデザイナーとして始まった。4人の友人と共に彼は会社を巧みに操り、 Vans Syndicateラインの開発を成功させた。予算も売上目標もなく、ただクリエイティブなエネルギーだけを注ぎ込み、カルチャー界で最も興味深い人々とのコラボレーションによって洗練されたフットウェアを世に送り出した。2013年、Bravo Company Worldwideが誕生。RianはAtiba JeffersonとSyndicateの信頼できる仲間であるBerto Liechtyと共に、仕事や旅のスタイルにおいてバッグのデザインと機能性が不足していることに気が付いた。BravoはUnion Los Angeles、Andrew Reynolds、Geoff McFetridge、Alex Olsen、William Strobeckといった友人や協力者たちと繋がり、カスタムコレクションとしてそれぞれがデザインしたバッグを製作するデザインの機会となった。 過去の物語を集め、未来のアイディアを描き出すことで、彼の最新のクリエイティブな取り組みであるYOU&Iが現在、形になりつつある。

Rian and brothers
Year: 1985
Spot: Easter
Photo: First Skateboard
Photographer: Parents