Hideaki Yoshihara and Yukiko Ode


DESCENDANTを立ち上げたきっかけは自分の子どもたちでした。親の背中を見せてあげられる環境があるといいなと思い、彼らをインスピレーションとする仕事をはじめたのです。子どもって未完成で、手を差し伸べてあげなければいけないけれど、ときに僕ら以上にたくましく、大人へとつづく子どもの今を、しっかり自分の足で生きています。僕らも昔は同じだったのだと思います。今回は、同じくふたりのお子さんを持ち、子どもをきっかけにその間柄が縮まった、HYKEの吉原秀明さんと大出由紀子さんに、子どものこと、仕事のこと、その価値観について、話を聞いてみました。
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西山徹(以下、TET)
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「なぜHYKEと対談?」と思うかもしれないですが、おふたりとはプライベートで知り合ったんですよね。子どもたちが通う学校が偶然同じだったんです。なので逆に、プライベートなことしか知らないかもしれません(笑)。
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大出由紀子(以下 、ODE)
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家族同士でキャンプに行ったり、それぞれの子どもがお互いの家に泊まり合ったり。仕事での関わりではないので、普段会うときは子どもたちや学校の話をするような気軽な間柄ですよね。
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吉原秀明(以下、YOSHIHARA)
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最初は、徹が同じ学年の保護者にいることに驚きました。もちろん、徹のことは知っていましたから。
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ODE
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吉原が家に帰ってきて、WTAPSの西山さんがいたよって。うっそ、そしたら、次、私が学校行ったときに話しかけてみるよって言ってね。
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TET
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びっくりしましたよね。僕も出産と育児を機にブランド(green)を一時休止したという話は知っていて、そんな人たちがいるんだ、すごいなあって思っていたら、同じ学校にいた! って。子どもがきっかけで180度生活を変えたおふたりをひそかに尊敬していました。子どもが生まれて、彼らに親の働く背中を見せたくてDESCENDANTをつくった僕とは真逆のアプローチですが、親として子どもを思う気持ちが共通しているのが面白いなって思いました。

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ODE
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よく再開できたなって思いましたけどね(笑)。ブランドを休止していたのは、2009年SSコレクション以降から、2013年AWコレクションでHYKEとしてリスタートするまでの4年ちょっとかな。再開前の準備期間を除いても、3年間は完全に仕事から離れていましたから。
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TET
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当時、休止することへの迷いや不安はありました?
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YOSHIHARA
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そうですね、休止すること自体より、休止するまでのプロセスに不安がありました。オフィスはもちろん、直営店もクローズしたので、まずはスタッフにそのことを伝えなければいけないし、卸先や工場、お客さんにも理解してもらわなければならない。今でこそ「活動休止」という話は珍しくないですが、当時はほとんど聞いたことがなかったので、手探りで向き合うしかなかったですね。
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TET
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覚悟もエネルギーも必要だったでしょうね。それでも休止を思い切った理由は、何だったのですか?
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YOSHIHARA
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私たちは、それぞれの得意分野でお互いを補いながら服づくりをしているので、大出がいなくなるとブランドが未完成になると思っていたからです。手前味噌になりますが、自分にとって大出は服をつくることに長けていて、非常に優秀なデザイナーです。一方自分は、ディテールの積み重ねでブランドイメージを固めていくようなブランディングが向いていて、役割もタイプもまるで違うんですね。たとえば、HYKEの服を着て、「デザインや着心地、素材、色合いがいいな」と思ってもらえるのは大出の働き、「HYKEってこんなブランドだよね」と漠然とイメージしてもらえるのは自分の働きという感じです。
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ODE
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私は古着が大好きなので、服づくりをするときに、昔の服の素敵な部分をデザインに取り入れようとして、気付くとレプリカになってしまったり(笑)、スタンダードすぎてしまうことがあるのですが、そこに彼の考えるHYKE的なアプローチを加えることで、独自の個性を生み出すことができているのだと思います。
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YOSHIHARA
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自分たちは、お互い半人前で、二人揃ってやっと一人前なので、どちらかひとりでは成り立たない。だから、半分欠けながら続けることで信頼を失ってしまうより、万全な状態になってから二人で戻ったほうがよいだろうと判断したんです。
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ODE
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工場への発注や納期交渉なども、私が直接関わっていますしね。もちろんサポートしてくれるスタッフはいますが、初めての出産〜生まれてまもない子どもを育てながらの仕事は、現実的に難しかったでしょうね。
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TET
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HYKEの服は、服が好きな方がつくっていることが伝わってきますが、工場とのやりとりも大出さんがされていると聞いて納得しますね。
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YOSHIHARA
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大出は、目の前の相手に「一緒に頑張りたい」と思ってもらえる空気感をつくるのがとても上手。服をデザインした本人が、情熱を持って接するから相手も応えてくれますよね。ブランドを再開したときの自分も、大出の強い思いに引っ張ってもらった部分がありました。

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TET
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人を前向きに巻き込んでいく大出さんの魅力、よくわかります。プライベートでも大出さんを中心にたくさんの人が集まっていますから。休止中、吉原さんはどんな心境だったんですか?
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YOSHIHARA
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心にポッカリ穴が開く感覚がありました。子どもの成長を見届けることができたし、結果的にはいい時間だったのですが、「自分は何かをつくって表現できてこそ自分なんだ」と改めて感じましたね。仕事をすることで自分らしくいられると。でも、子どもが生まれるまではずっと、自分の私生活を顧みる時間がないほど仕事をしていたので、仕事の渦に復帰することへのためらいもありました。気持ちは常にマーブル状でしたね。
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ODE
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彼は本当に真面目なので、1998年にgreenをはじめてから10年間、休みといえばお正月の三が日くらいで、あとは働きづめだったんです。でも、そこに舞い戻るのは、体力的にも精神的にも苦しいし、家族が増えて環境も変わったので、再出発するにあたって働き方を一緒に考え直しました。自分たちが無理をしすぎずに出来る範囲の中で、変えないところ、変えるところを検討したんです。
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YOSHIHARA
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たとえば、週末や祝日に休めなくなるので直営店は構えずに卸売だけにしたり(現在はオンライストアのみ展開中)、スタッフも含めて残業は極力しないようにしたり。昔とは違って、家族と健康な体があってこそ一生懸命働けるし、質の高い仕事が出来る、という考えに至りました。

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TET
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吉原さんは何事にも誠実な人なので、葛藤していた真剣な様子も目に浮かびますね。今のおふたりは、仕事をする上でいちばん大事にしていることは何ですか?
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YOSHIHARA
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誠実というか、ただ不器用なだけですが(笑)。
大事でもあり、仕事する上でのモチベーションにしているのは、徹と同じで働いている姿を子どもに見せることかな。小さい頃は親の仕事がわからなかったようですが、成長していくにつれて少しずつわかるようになってきた。世の中の仕組みや動き、そして子どもが働くことになる将来の世界を、自分のフィルターを通して考えてくれたらいいなと思いますね。
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ODE
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私は、自分の時間を大事にしたいですね。55歳という今の年齢を思うと、元気でいられるうちに興味があることはなんでもやっておきたいなと。親として大事にしていることも同じ。時に間違えながらも、もがき進んでいく姿を身近で見せてあげるのが、子どもにとって最大の教育なのかなと思います。
Part 2につづきます。
HYKE
ハイク|吉原秀明さんと大出由紀子さんによるブランド。1998年greenをスタートし、子育てに専念するために2009年春夏シーズンで活動休止。2013年秋冬にHYKEを立ち上げ、活動を再開。5年ぶりに「Rakuten Fashion Week TOKYO 2025 A/W」でランウェイショーを開催し、2025年秋冬コレクションを発表。
吉原秀明
ヨシハラ・ヒデアキ|1969年東京都生まれ。HYKEではデザインとクリエイティブディレクションを担当。思考を積み重ねる理論派。
大出由紀子
オオデ・ユキコ|1969年群馬県桐生生まれ。HYKEではデザインとプロダクトを担当。天性の直感派。
photo: Kazufumi Shimoyashiki
text: Shoko Yoshida
edit: Tamio Ogasawara