Feature
スケーター? 現代美術家?
僕らの山ちゃんは
アメリカへ行った。
Part 1
Who is Tetsuya Yamada?
Interview by Takei Goodman
現代美術家の山田哲也さんを映像作家のタケイグッドマンさんがインタビュー。

アメリカ・ミネソタ州、ミネアポリス在住の現代美術家・山田哲也さん。日本では知る人ぞ知る存在だが、アメリカでは数多くのエキシビションを開き、ミネソタ大学の美術科で教授を務め、2024年のWalker Art Centerでの個展はTHRASHER MAGAZINEもピックアップ。でも、僕らが知っている山田哲也は、1994年に渡米する前までのスケーターの山ちゃんだ。あれから20年以上経った現在、あらためて山田哲也とは何者なのかを追いかけてみようと、同時代を一緒に過ごした映像作家のタケイグッドマンさんがインタビュー。


Takei Goodman(以下、Takei)

山ちゃん、あなたは何者ですか?

Tetsuya Yamada(以下、Yamada)

人間です。

Takei

山ちゃんは、学年はひとつ上ですが、僕と同じ1968年生まれですね。渡米したのは何年でしたっけ?

Yamada

1994年です。

Takei

お別れ会やったよね、ハードロックカフェで。そのときのビデオもあって、探しているんだけど出てこなくて。プロフィールを見ると97年にアルフレッド大学の修士号を取得ってありますが、アルフレッド大学ってどういった学校なんですか?

Yamada

ニューヨーク州にある大学です。ニューヨーク州といってもニューヨーク市が近くはなくて、ほんと田舎町(カナダのトロントのほうが近い)。アルフレッド大学がニューヨーク州立カレッジ・オブ・セラミックスという有名なセラミックを中心としたアートスクールと合併している形で、私はアートスクールのほうで学びました。

Takei

英語も全然喋れないのに、語学ではなくて最初からセラミックを勉強しにいっているんだもんね。シンちゃん(スケシンさん)とも英語ができないのに、いきなりニューヨーク行って、大学入るって、山ちゃんすごいわって当時話してたの。

Yamada

笑顔という道具でなんとかね(笑)。

Takei

笑顔で乗り切ったんだ。

Yamada

東京で育ったから、まあでも清瀬なので当時はまだ少し畑がありましたけど、アルフレッドに着いたときに借りていたアパートの向こうに牛がいてショックだった。ここで3年間過ごしましたね。

Takei

僕が知る感じだと、そのあと、ノックス大学? で、ミネソタ?

Yamada

アルフレッドで修士号を取得してから、マサチューセッツ大学で1年レジデンシー*1して、イリノイのノックスカレッジで助教授として採用されました。
*1 作家が大学に一定期間滞在し、創作活動を行う制度。

Takei

今日は当時のノックス大学のTシャツも持ってきたんだけど、そもそも何でアメリカに行こうと思ったの?

Yamada

たしか、1992年だったかな、東京国立近代美術館でイサム・ノグチの展覧会があって、それを観に行って衝撃を受けました。でもわからないことがありすぎて、わからないことをわかりたくて、その思いが強すぎて、それでアメリカに行こうってなった。格好よく言うとね。

Takei

イサム・ノグチがきっかけのひとつだったんだね。

Yamada

その展示でさ、白いランニングを着た人が二人の学生に向かって、「ここを見ろ、この厚さが重要なんだ」みたいなことを説明していて、気になって近くに寄って聞いていたの。たぶん、美術家だろうね、なんか工房からそのまま出て来た印象で、彼が言わんとしていることはわかる感じはあるんだけど、深くは理解できない。そこが勉強したいという気持ちにつながっていったのかな。もっと見て、理解できるようになりたかった。

Takei

そのころはもう陶芸をやっていたよね?

Yamada

やっていたね。陶芸を始めたのは大学生になってから。これは教えているミネソタ大学で、人生いろいろな道があるよという例でたまに生徒に言うんだけど、私は陶芸に憧れて、その目的で始めたわけではなくて、日本でいう大学受験のようなプレッシャーのある勉強が好きでなかったと。そんなときに美術大学があるのを知って、それだったらいけるかもって思ったわけ。それで、デッサンとかやり始めてさ。デザイン科にいきたかったけど倍率は高い、でも陶芸科なら倍率は低いと。まあ、4年くらいなら手作業は好きだし、図工でもやったことあるし、粘土はできるだろうと。それで一般大学の陶芸科に入った。それから徐々に陶芸に興味を持ち、陶芸家の加藤唐九郎とかを雑誌で見て、なんなんだこの人は! ってなって。黄瀬戸*2の贋作をつくっていたのがバレて問題になったりもあったけど怪物のひとり。人間国宝で桃山時代の志野焼に惹かれていた荒川豊蔵も好きだった。荒川豊蔵の志野茶垸。
*2 桃山時代に美濃地方で焼かれた、淡黄色の釉薬が施された陶器。

Takei

志野は白いひび割れのすごいやつね。

Yamada

茶道には肯定外のルールがあり、例えば、三日月高台という茶碗の高台(こうだい)*3があって、外側と内側のろくろでの削りが合わず、一方が太くなり三日月みたいに見えるんですけど、これは基礎では成功の例ではないけど、これを三日月高台として喜ばれるという茶道の文化に強く影響受けました。あとは、茶庭で使う止め石*4には神秘的なものを感じたかな。ただ、自分のそれまでの半分はスケボー人生だったから、スケートボードと陶芸というものが交わるところが当時はわからなかった。
*3 茶碗、鉢などの底に付く輪の形の支えの台。
*4 茶室へ誘なう路において、ここから先へは入らないようにという標識とする石。

Takei

まだこの時代はスケートボードとは融合していないよね。

Yamada

ずっと好きだったのは、パンクにスケボー。その片側で、興味が湧いてきたのが伝統的なお茶の世界。最近インタビューを受けていて、そのときにスッと言葉に出たのは、マルセル・デュシャン、スケボー、パンクと同じようにお茶の世界というのもラジカルですよって。利休がやった躙口(にじりぐち)*5とか、すごい発想ですね。
*5 利休が考案した茶室の客用入口。頭を下げて潜り込むように入るため、身分の上下に関わらず、茶室では誰もが平等であることを示す。また、狭い躙口を潜ることで、外界から茶室という非日常空間への精神的な区切りを意識させ、茶会の雰囲気を高める役割も果たす。

Takei

躙口は間違いなく前衛だね。

Yamada

パンクと近いって簡単に言ってしまうとよくないかもしれないけど、そういう繋がりを考えるのは面白いです。

Takei

既成概念を壊すってやり方はパンクも利休も同じかもしれないね。茶道も伝統派と前衛派があるしね。

Yamada

私は伝統的な茶道のラジカルさに興味があるかな。古伊賀破袋*6を初めて見たときもかなり驚いた。大きいヒビが入っている水差しなんですけど、すごい衝撃でしたね。
*6 伊賀焼(古伊賀)の水差し。釉薬を掛けない焼き締め陶器で、水を汲んでおくための茶道具。重要文化財。

Takei

破袋も前衛ですよね。

Yamada

桃山時代には前衛というセオリーはなかったけど、ルールに沿わないという意味では今でいう前衛のスピリットでしょうね。それでちょっと思い出したんだけど、アルフレッド大学を受けたときにポートフォリオで出したのが、ロクロでひいたスプレー缶だったの。薪窯でちゃんと焼いたもの。

Takei

スプレー缶をセラミックで作ったんだ。それはすごく山ちゃんっぽいけど、残っているの?

Yamada

残ってないなあ。あと、壺を切って再構成したような作品もあったの。あの頃はヒップホップも聴いていたじゃん、あれってサンプリングとミックスが多いでしょ。だから、ヒップホップの思考で作ってた。アメリカの教授に見せたら、「これはジャズだね」って一目で言われてさ、この人すごいと思った。

Takei

アヴァンギャルドだね。

Yamada

マルセル・デュシャンの「泉」はパンクのスピリットがあるといつも思っていたね。1917年にニューヨークでSociety of Independent Artists(独立芸術家協会)のエキシビションがあって、それは6ドル払えば、誰でも参加できますよっていうもので、デュシャンは小便器にR.Muttとサインして出品したの。そしたら、エキシビション委員会が、これはアートじゃないとなって展示されなかった。デュシャンはつくってはいないけど、私は選んだと主張した。なんで小便器を選んだかって、要するに、美術作品としてエステティック(美意識)から外したかったんだって。アートといったら美しいという定義を崩したかった。それが始まり。それからアートの歴史に新しい道ができた。アート、イコール美ではないと。

Takei

美しさの基準はひとつじゃない。

Yamada

コンセプトというエレメントをアート作品に持ってきたんだね。ところで、(コンスタンティン・)ブランクーシの「Bird in Space」って作品があるんだけどさ。

Takei

イサム・ノグチはブランクーシに師事していたよね。

Yamada

そうだね、ブランクーシに習っていた。ブランクーシとデュシャンは仲がよかった。たしか、1912年とかにパリのグランドパレス(グランパレ)で航空展覧会があって、デュシャンとブランクーシと(フェルナン・)レジェとで行って、そこにプロペラが飾ってあった。デュシャンがそれを見て、これよりすごいのができるのか? と。デュシャンは、絵画は死んだと。

Takei

パンク・イズ・デッドみたいだね。

Yamada

ブランクーシは工芸の学校で学んでいるから手しごとはものすごい。美を求める人で、写真も撮っていたし、写真も美しい。

Takei

それは知らなかった。

Yamada

ブランクーシの「Bird in Space」とデュシャンの「泉」を比べると、ひとつは美を求めて、ひとつは美をなくして、ひとつは手しごとで、ひとつは手しごとを却下した。でも、二人は友だちであり、ともに一度はアートとして認められなかった(1927年のNYでの個展のため「Bird in Space」がパリから送られた際、US Customsが「Bird in Space」をアートではなく工業製品だといって税金をのせた)という共通点もあった。そういうのを表現してみたくて、私の2007年の作品「Morice」は、ブランクーシとデュシャンのハイブリットの形です。

“Mr. and Mrs. Duchamp,” 2004.
©Tetsuya Yamada
“Morice,” 2006-2007 Dimensions Variable
©Tetsuya Yamada

Takei

当時、山ちゃんがくれたこの作品のミニチュアも今日は持ってきましたから。

これはタケイさんがお持ちの山田さんの2007年の作品「Morice」のミニチュア版。

Part 2につづきますよ。

Tetsuya Yamada

山田哲也 | 1968年、東京都生まれ。現代美術家。学生時代に日本の伝統的な陶芸を学び始める。 その後、1997年にアルフレッド大学で修士号を取得し、現在はミネソタ大学ツインシティーズ校芸術学部教授。 陶芸を中心としたマルチメディア作品をとおして、自然を考察し、人間の本質的な真理を探求。 近年の展覧会は、2024年にミネアポリスのWalker Art Centerで開催された「Mid-Career Survey」「Listening」、2022年にMidway Contemporary Artで開催された「Shallow River」など。 2025年10月にニューヨーク、Paula Cooper Galleryで個展を開催予定。
www.tetsuyayamada.com

Takei Goodman

タケイグッドマン | 1968年、静岡県生まれ。映像作家。 WIZ Entertainment代表。スチャダラパーのSHINCOとLBネイションを発足。 同時期にラップグループ The CartoonsのラッパーやDJとして、下北沢 ZOOを中心に活動。 1990年にはスペースシャワーTVに入社し、藤原ヒロシと「HIROSHI'S KICK BACK」、スチャダラパーと「ズームイン・バカ」、高橋盾、NIGOと「LAST ORGY 2」といったコーナーディレクターを担当。 1992年には藤原ヒロシ、YOUと「BUM TV」木曜日のディレクターや、 ビースティ・ボーイズのジャパンツアー密着番組などの特番制作を行う。
wiz24h.com

photo: Takeshi Abe

text: Tamio Ogasawara