Feature
スケーター? 現代美術家?
僕らの山ちゃんは
アメリカへ行った。
Part 2
Who is Tetsuya Yamada?
Interview by Takei Goodman
Part 1からの続き)
映像作家のタケイグッドマンさんによる、現代美術家の山田哲也さんのインタビューのつづきです。

清瀬の武蔵スケートパークにてハンドプラント。(80年代中後期)Mingdog 19がデザインした初代T19山田モデル。03、Mingdog、Sk8thing、Nihei、Stephen Sと私がオリジナルメンバー。

Takei Goodman(以下、Takei)

山ちゃんは、パンクとスケートボードはどっちが先だったの?

Tetsuya Yamada(以下、Yamada)

パンクが先だったと思う。どっちも中学生の頃。周りはポリスとかデュラン・デュランを聴いていたけど(これらはもうちょっとあとだったかもしれないけど)、そういったメインストリームのグループにはあまりハマらなかったかな。その頃、ある能楽師の友だちが「パンク知ってるか?」と聞いてきて、これテツ好きかもよって言われたのが出会い。速さと過激さに魅力を感じていたね。メタルは知っていて聴いたこともあったけど、どうもスタイルがシンクしませんでしたね。メジャーなクラッシュとか聴いていたけど、当時の自分の中では過激さがなくて、私の求めていたパンクではないって思ってたり(笑)。

Takei

山ちゃんのはハードコアパンクだよね。

Yamada

そこから、もうちょっとマイナーなのを聴くようになっていったかな。日本だとメジャーなスターリンとかモッズからマイナーに。ハードコアはよく聴きましたね。その頃と同時にスケートボードが入ってくる。

Takei

T19の人たちと会うのは、パンクのライブの会場で?

Yamada

最初はスケートパークだったよ。

Takei

山ちゃんが最初に会ったのは、Oさん(大瀧ひろしさん)?

Yamada

03(おーさん)と三野くん(三野タツヤさん)と。彼らはいつも一緒に行動してたね。学校のあと、制服で清瀬のパークに来てた。それでその姿がブルースブラザーズにそっくりなのが印象深い。

Takei

シンちゃん(スケシンさん)も最初あの二人は外国人だと思ったって言ってた(笑)。

Yamada

高校の頃だと思うけど、二人は学校のあとパークに来ていて。火曜か木曜。私は学校帰りに電車の窓から毎日パークを見ててさ(清瀬出身で清瀬に住んでいて毎日電車から見れるから)、今日は誰がいるかなって。パークで友だちをつくりたいという気持ちがあった。

Takei

二人はオープンマインドだった?

Yamada

そうだね、普通にこんにちはって言って。何曜日来るんですか? って。03たちは「僕たちはいつも木曜だね」って。火曜か木曜かは忘れちゃったけど。それから私も曜日を合わせてパークに行き始めました。

Takei

スケーターはその感じがいいよね。

Yamada

そのうちに土曜にも行き始めて。その頃の土曜日、日曜日はうまい人がいて、特に日曜は行きづらかったね。でも、そのうち日曜がレギュラーになった。

Takei

そのときはどんなデッキで滑ってたの?

Yamada

パウエル(・ペラルタ)だね。(レイ・)ロドリゲスとかかな。でも、それはコンケーブがなかったもの。デッキ買ったときはコンケーブをあまり気にせずにグラフィックに影響されてて。人にはコンケーブ入っていたほうがいいよと言われていて、その次に(マイク・)マクギルとかかな。

Takei

それは何年頃?

Yamada

80年代。そもそもね、70年代私は小学校1年生から野球をやっていて、プロ野球の選手に憧れていたんです。いつも行くバッティングセンターにスケートボードパークがあったんですよね。それで、はじめはそのバッティングセンターに通っていたんだけど、そしたらスケボーの人たちが黄色いウィールとかオレンジのヘルメットとか、RECTORの赤とかブルーとかの、渋い色じゃない新しい発色のパッドをつけていてさ。頭の中にずっとそれが入っていて、野球を辞めたときにスケボーのことが頭から抜けず、始めました。最初のデッキはアルバだったかな。それからクリプトニクスの木ではない板に乗って、パウエルの(レイ・)ロドリゲスを乗りました。03と三野くんに最初に会ったときは、今となっては大変珍しいと思うんですけど、03はパウエルのビーマーというデッキで、三野くんはパウエルのオーリーというデッキに乗っていました。

ウォールライド(80年代)
ストリートランプからのエア(86年)
ジャックでのバックサイドエア。撮影:Nishi(80年代後半〜90年代初め頃)

Takei

T19が立ち上がって、山ちゃんとNEEYAN(二瓶長克さん)が最初のライダーになったって聞いているけど。

Yamada

まあ、みんなで一緒にやっていたって感じかな。写真(山田さんがハンドプラントしているTOPのモノクロ写真)を見ると、まずTシャツはT19、デッキはT19山田モデル、両方とも三野くんデザイン。このデザインを復活できるといいなあ。この写真は私にとって大変貴重なものです。

Takei

シンちゃんとはどこで出会ったの?

Yamada

目黒の鹿鳴館でパンクのライブに行ったとき。終わったあと6、7人で吉野家で食べたのが最初だったかな。

Takei

モヒカンだった?

Yamada

どうだったかな、黒いズボンでブリーチが入っていたことは覚えてる。モヒカンに近かったかな。鋲ジャン着て、格好いいとはすぐ思った。表に出てくることは多くはないかもしれないけど、シンちゃんはいつも影響のある存在だね。

Takei

Oさんと三野くんはライブには行ってないの?

Yamada

みんなで行き始めたね。楽しかったよ。

Takei

徹くんとは?

Yamada

私が大学生の頃に会った。私たちの中ではナイトクラブの時代に入った頃だね。

TET

88年とか。

Yamada

タケイくんとは「スペースシャワーのタケイです」って紹介されたと思う(笑)。

Takei

ビースティ・ボーイズの密着取材していたときだったかな。その頃、山ちゃんはOさんとMINOくんとスケートしながら、その裏で陶芸やって。

Yamada

東郷神社境内にある日本陶芸倶楽部で働きながらね。いろんな方々に教えていたと同時に、いろいろその方々からも学びましたね。大学を卒業してから4年ほどそこで働いていました。

Takei

じゃあ、この徹くんにプレゼントしたというマグは陶芸教室の頃につくったの?

1992年に山田さんがつくって厳密には徹さんのお母さんにプレゼントしたというマグ。No.8は、自身のライターネームTSUBO8とシャネルの香水の番号をかけたものだとか。

Yamada

そうそう。教室の会員さんにプレゼントするものをつくったときのものかな。

Takei

こういうのは残しておかないとね。やっぱりスプレー缶のものも見たいもん。

今日は昔から一緒に遊んでいた元T19のAkeemさんも来てくれました。

TET

山ちゃんは学校に迎えに来てくれたり、僕が大学に行って拾ってもらったりして、そのあと一緒に滑ってましたね。

Yamada

よくやってたよね。

Takei

山ちゃんは朝までニコニコしながら遊んでてさ。タフだったよね。僕も山ちゃんにはたまに家まで送ってもらってたし。それで94年からアメリカに行って、現在は大学の教授なの?

Yamada

最初、1998年に助教授としてノックスカレッジで採用されました。2003年にミネソタ大学で採用され、2008年に准教授、2015年に教授にプロモートされました。

Takei

プロフェッサーだね。最初にあなたは何者ですか? と聞いたけど、プロフェッサーであり、アーティストだね。

Yamada

まあ通常だと、アーティストって返答します。たとえると、大学で教えている科学者みたいなもの。サイエンティストが大学で教えているみたいなね。

Takei

なるほど、アーティストが大学で教えているって感じだね。

Yamada

94年には渡米して、アメリカで作家活動も個展もたくさんやってきたけど、THRASHERに取り上げられた(Ted Barrow氏が記事を書いてくれた)のは個人的にほんと嬉しかった。スケボーだけだと私のレベルでは載ることはなかったし。

THRASHERのOCTOBER 2024 ISSUE #531にて山田さんの取材ページが掲載。

Takei

これは僕らの知る山ちゃんとしてのまずひとつ集大成のような形だね。スケートボードがベースとなって、アーティストとして自己表現するようになった。ほんとこれを見てもそうだけど、作品はさまざま。「TODAY IS TOMORROW」「YESTERDAY IS TODAY」とか、ここらへんのTシャツを徹くんがリイシューしてくれると嬉しいんだけどな。コロナのときに見たから沁みたんだよね。

ミネアポリスのBirch Wood Caféにて行われたWHAT ARE WE GOING TO DOのインスタレーション風景。

TET

フライヤーっぽいのは? 何もプリントしていないの? これとかTシャツにしたいかも。

3801 PARK AAVE. TEMPORARY 2016, exhibition flyer
3605 E. LAKE ST. TEMPORARY 2018, exhibition flyer
3330 E. 25TH ST TEMPORARY 2019, exhibition flyer

Yamada

これはゼロックスコピーでつくったテンポラリープロジェクトのフライヤーだね。コロナのときはパブリックスペースを使って、「Waiting」というインスタレーションもやりました。

“Waiting”インスタレーション風景
©Tetsuya Yamada and Midway Contemporary Art

Takei

そうそう、このインスタレーションを観て、今日は和室で取材したいなって思ったんだよね(笑)。

Part 3につづきますよ。

Tetsuya Yamada

山田哲也 | 2002年と2009年にはウィスコンシン州のKohler Arts/Industry、2004年にはフィラデルフィアのthe Fabric Workshop and Museum、2010年にはオランダ・セルトーヘンボスのthe European Ceramic Work Centerなどの多くのレジデンス・プログラムに参加。2001年にティファニー賞、2005年はThe Northern Clay Centerが運営するセラミックアーティストのためのマックナイト・フェローシップ、2014年と2019年にはミネアポリス美術大学が運営するビジュアルアーティストのためのマックナイト・アーティスト・フェローシップ、2011年は韓国の京畿世界陶磁ビエンナーレでグランプリ、2023年はグッゲンハイム・フェローシップを受賞
www.tetsuyayamada.com

Takei Goodman

タケイグッドマン | 1993年よりデビュー前から親交の深いスチャダラパー、TOKYO No.1 SOUL SET、かせきさいだぁ、脱線3、小沢健二、小島麻由美、キリンジ、HALCALI、TERIYAKI BOYZ、EGO-WRAPPIN'、BILLIE IDLEらのビデオクリップやCDジャケットなどのアートワークのディレクターを務める。近年は、ABEMAのCIをはじめとする映像ディレクションや、VJ・DJとしての活動のほかに、 2013~2014年には京都精華大学ポピュラーカルチャー学部にて非常勤講師を務めた。
wiz24h.com

photo: Takeshi Abe

text: Tamio Ogasawara